うつ病を患っており、病気平癒のお願いがしたい佐々井です。
鳥取県米子市で「粟嶋(あわしま)さん」と親しまれている粟嶋神社。
本記事では、その、こんもりした小さな山頂に社があり、山全体が神域の粟嶋神社について紹介します。
粟嶋神社について
公式サイト | なし |
住所 | 鳥取県米子市彦名町1405 |
ジャンル | 神社 |
交通手段 | ・自家用車
・JR山陰線・伯備線・境線「米子駅」から4.8km。車で12分程度 ・駅にタクシーあり |
駐車場 | あり(7台程度) |
オススメな人 | ・難病苦難救済を祈願する人
・女性の病気平癒・延命長寿・安産・子授けを祈願する人 |
注意ポイント | 拝殿・本殿までに長く急な石段があるため、足腰に不安のある方は遥拝になります。 |
粟嶋神社の御利益・御祭神・由緒など
【御利益】
・難病苦難の救済
・女性の病気平癒、延命長寿、安産、子授け
・交通安全
【御祭神】
・少彦名命(すくなひこなのみこと)
大己貴命(おおなもちのみこと)が日本の国造りを行った際に、人々に医療を教え、大己貴命を支えた小人の神様。
国造りが軌道に乗ったことを見届けたのち、この粟嶋神社の地から、粟の穂に乗り、常世の国(とこよのくに・=あの世)へ飛んで行かれた。
*神社境内の掲示には、大己貴命(おおなもちのみこと)と神功皇后(じんぐうこうごう)も御祭神とありますが、この2柱についての説明や神徳について記載がありません。
公式ホームページやパンフレットがないこともありますが、この2柱がどのように祀られているか分かりませんでした・・・
リサーチ能力不足で申し訳ありません。
【由緒】
創建年代不詳。
現在は弓浜半島と地続きであるが、古代には小さな島であったといわれています。(ゆえに「あわしま」)
西暦200年(弥生時代)には、神功皇后が粟嶋神社に安産祈願の死者を遣わしたという伝承があることから、その歴史は古いと推察されます。
その後、後醍醐天皇が隠岐諸島へ配流される際に海上安全祈願されたとの記録も残っています。(鎌倉時代末期)
その後、戦国時代での戦災などで幾度か神社は焼失したが、その都度再建され、現在に至ります。
八百比丘尼の伝説の地
粟嶋神社の神域には、社殿で祀られている「少彦名命」と別に、「八百比丘尼(はっぴゃくびくに)」がひっそりと山麓の洞窟で祀られています。
その「八百比丘尼」とは、簡単に説明すると「人魚の肉を食べて、18歳のときの身体のまま800歳生きた女性」のことです。
八百比丘(はっぴゃくびく)さん、八百姫(やおひめ)さんとも呼ばれています。
人魚の肉を食べてしまった経緯としては、以下のとおりです。
まず、粟嶋の集落に1人の漁師が流れ着いて住み着きました。
1年後、その漁師が「お世話になったから」と言って村の衆を船に乗せて立派な御殿に案内、ごちそうをふるまいました。
そのごちそうの中に、「人魚の肉」がありましたが、村の衆は気味悪がって、食べたふりをして服に隠し、村に帰る際に海に捨てました。
ところが、村人の1人が、人魚の肉を服に隠したことを忘れてしまっていました。
その村人が家に帰り、服を着替えた際に、その村人の娘が人魚の肉を見つけ、食べてしまいました・・・ということです。
その後、その娘は、自分が年を取らず、周りの人たちが老い、死んでいくのを何度も何度も見届けるうちに世をはかなみ、尼さんになって、粟嶋神社にある洞穴にこもり、800歳で点に召された、というのが「八百比丘尼」伝説です。
その洞穴が、今も粟嶋神社の神域に残っており、「静の岩屋・八百姫宮」として祀られています。
粟嶋神社の風景
2022年1月。
雲は多いが晴れ模様の中、粟嶋神社に参拝しました。
神社入り口より、1枚目をパシャリ。
右側に写っている小屋はトイレです。
神社の駐車場は鳥居に向かって左側のスペースです。
写真には写っていませんが、トイレの右側に広いジャリの駐車スペースがありますが、神社のものでないので注意。
鳥居をくぐって進むと、左手に神社の概要の掲示があります。
(クリックで拡大画像あり)
さらに進んで、左手に第灯籠がお出迎え。
大灯籠を過ぎると、手水舎があります。
ここで両手と口を浄めましょう。
感染症対策として、粟嶋神社でのお浄め方法は、竹筒から流れてくる流水を手ですくう方法を採っていました。
手水舎の向かいには、社務所があります。
御祈願をお願いしたい時に、宮司さんが窓口にいらっしゃらない場合は呼び鈴を押しましょう。
さぁ、お浄めが終わったら、いざ参拝!
あれ? お賽銭箱が置いてある先に石段が・・・
鳥居をくぐって見上げると、拝殿・本殿に続く石段がそびえていました・・・
あぁ・・・これを登るんですね・・・
先ほどのお賽銭箱は、この石段を登るのが難しい方が、粟嶋様を拝む場所だったんですね。
息を切らせて石段を登ったら、さらに石段が・・・
でも、中門が見えてきた!
石段を登り終え、中門を撮影。
息が切れていたためか、写真が傾いてます・・・
中門をくぐると、拝殿が見えてきました!
二礼二拍手一礼で神様に御挨拶・・・
御挨拶を終え、拝殿・本殿を左手から時計回りでグルリとまわります。
まずは、立派な本殿。
次に、出雲大社の遥拝所が。
遠く、西の方の出雲大社へ、二礼二拍手一礼。
拝殿・本殿を周り終え、石段を下りようとすると・・・
中門の右手には、伊勢神宮の遥拝所が!
遠く、東の方の伊勢神宮へ、二礼二拍手一礼。
粟嶋神社に参拝、出雲大社・伊勢神宮を遥拝後、中門をくぐると・・・
今度は下りの石段!
石段を下っていくと・・・右手に表札(?)が!
あれ? 「荒神宮 蝮蛇神祠」? 境内の説明には何も書かかれてなかったぞ?
なにか・・・けもの道みたいなんですが・・・ともかく進んでみましょう。
石段から横にそれ、「荒神宮 蝮蛇神社」の表札の先を進んでいくと・・・
鳥居もなにもなく、小さな2つの祠が向かい合って鎮座してました。
ここが「荒神宮」であってるのかな? 二礼二拍手一礼。
「荒神宮 蝮蛇神社」から出て、石段を下っていくと・・・
また右手に道が! 今度は鳥居がある!
石段から右手にそれ、鳥居をくぐり、先を進むと・・・
ここにもお宮が! でも、ここも説明はないし、ここは宮名もない・・・
ともかく、二礼二拍手一礼。
その後、石段まで戻り、その石段を下りて粟嶋神社の参拝は終了。
でも、石段に向かって右手には、まだ建物やお参りするところが複数あるので、そちらもお参りへ。
粟嶋神社脇~静の岩屋・八百姫宮の風景
粟嶋神社本殿への石段、向かって右側に進み、まずあるのが「御祈祷所」
絵馬を奉納する場所も見えます。
「御祈祷所」の隣には、「歳徳神」と掲げられたお宮がありました。
「歳徳神」とは、集落ごとに祀られている神様で、現在の島根県~鳥取県西部にかけては、正月にお祭りをして迎える風習があったそうです。
ちなみに、「歳徳神」がいらっしゃる方位が、その年の吉方位ということです。
節分に恵方巻を食べる風習がありますが、恵方巻を食べるときに向く方角=吉方位=歳徳神様のいらっしゃる方位、ということです。
「歳徳神」様のお宮から、さらに右手に進むと「忠魂碑」があります。
太平洋戦争前(昭和9年)に建立されたとのことで、日清・日露戦争での、この地区の戦没者の慰霊碑なのだと思います。合掌。
さて、「歳徳神」様と「忠魂碑」の間には奥に進める道が!
まず、右手の「御岩宮祠(おいわきゅうし)から参りましょう。
「御岩宮祠」とは、古代、「海から神様が粟嶋の地にたどり着かれた際に、お疲れのあまり大岩に抱き着かれた」ときの「大岩」を祀っているそうです。
鳥居の前まで来ましたが、なるほど岩の上に祠が見えます。
「御岩宮祠」は、「岩=石=セキ=セキ・風邪に効く」ということで、古来より病気平癒・難病平癒の御利益があるとか。
二礼二拍手一礼。
さて、「御岩宮祠」に参った後、「静の岩屋」へ向かいます。
「静の岩屋」とは、本記事の「八百比丘尼の伝説の地」で紹介した「八百比丘尼が終の住まいとした洞穴」のことです。
粟嶋の山麓にそって、少々歩きます。
足元が舗装されておらず、石や木の根にお気をつけください。
「御岩宮祠」から70mくらい歩くと、「静の岩屋」が見えてきます。
「静の岩屋」を参ると、延命長寿の御利益があるとか。
鬱蒼とした山麓に、静寂に包まれた洞穴・・・
この場所で、世をはかなんで何百年とお迎えを待つというのは・・・
御利益を求めなくとも、自然と手をあわせておりました。合掌。
さて、洞穴への入り口は封鎖されておりますが、妻曰く、30年前くらいは中に入れたとか。
私には、中に入る勇気はないなぁ・・・
以上にて、粟嶋神社と静の岩屋のお参りは終了いたしました。
おわりに
山全体が神域である粟嶋神社をご紹介してきました。
粟嶋神社・拝殿へ通じる石段の途中にあった謎の2つのお宮・・・
どちらかが「荒の神宮」なのでしょうが、1つは宮名がないし、1つは整備がほぼされてないし・・・
神社の境内に掲げられた説明板、あればパンフレットや公式ホームページを参照しながら記事を作るのですが、今回は情報源も少なく中途半端な記事で申し訳ありませんでした。
ここまでの御高覧、ありがとうございました!
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