鳥取県米子市淀江町に位置する「上淀廃寺跡(かみよどはいじあと)」。
国指定の史跡であり、7世紀後半(飛鳥時代)に建立された寺院跡です。
現在では、建物は残っていないものの、彼岸花(ひがんばな)の名所として知られています。
2022年9月22日、その彼岸花が見ごろということで観に行きました。
「上淀廃寺跡」とは
公式サイト | http://www.yonagobunka.net/hakuhounooka/ |
2022年彼岸花ウィークHP | http://www.yonagobunka.net/hakuhounooka/park/event/c124/ |
住所 | 鳥取県米子市淀江町福岡1099 |
ジャンル | 史跡・彼岸花の名所 |
入場料 | 無料 |
営業時間 | 定めなし |
定休日 | 定めなし |
アクセス | JR「米子」駅から車で約25分 |
駐車場 | 付近の「淀江ゆめ温泉 白鳳の里」の駐車場を利用可(無料) |
トイレ | あり |
「上淀廃寺・彼岸花ウィーク」の風景
2022年9月22日・午前10時前、見ごろの彼岸花をカメラに収めるべく出発!
上淀廃寺跡では、9/20(火)~9/26(月)を「彼岸花ウィーク」と銘打ち、イベントを開催している模様。
駐車場から会場へ
駐車は、淀江ゆめ温泉の駐車場を利用しました。
車から降りて、すぐに上淀廃寺跡へ続く道沿いにノボリが立っているのを発見。
ノボリには「彼岸花まつり」とあります。
イベント名称が違っていますが、気にせず進みます。
上淀廃寺跡まで、400mの歩道を歩きます。
歩道は舗装されているものの、こけむしており、雨天は注意が必要です。
見えました。橋を渡れば、上淀廃寺跡です。
見てのとおり、だだっ広い台地です。
美しい赤と白の彼岸花たち
上淀廃寺跡は、復元された建物は、ほぼ無いため見晴らしがよいです。
建物があった場所は縄張りがわかるように空間が残され、それ以外の場所に彼岸花が植えられています。
羊雲(に見える)秋の空と彼岸花。
赤だけでなく、白の彼岸花も。
蝶々も数多く舞っていました。
写真を撮ろうと、蝶を追っているフォトグラファーの姿も(笑)
そして、美保湾を一望できる遠景に彼岸花。
なかなかの絶景かと。
秋に、「上淀廃寺跡」に一度訪れてみませんか?
イベントとしての「彼岸花ウィーク」
イベントとして、彼岸花にまつわる俳句・フォト俳句の募集がされたりしています。
また、AR/VRでタブレットをとおして古代寺院の姿を見ることができます。
そのイベントについて、案内所が設けられていました。
この案内所で、イベントの説明を受けることができます。
イベント期間は飲食物の売店の姿が。
キッチンカーも日替わりで展開しています。
ブログ主が来訪したのは平日でしたが、彼岸花を目当てにフォトグラファーや御高齢の人たちの姿が。
「上淀廃寺跡」の風景
ここからは、彼岸花以外の上淀廃寺跡を紹介させていただきます。
つまり、「遺跡」としての紹介です。
歴史
上淀寺は、飛鳥時代に建立されたお寺です。
古くに廃寺となったため、現存する建物はありません。
平成3年(1991年)に、この地で壁画が大量に出土したことから、大規模発掘調査が行われ、建立当時の地形に復元したうえで公開されました。
下の写真は、上淀寺跡に掲げられている説明板です。(クリックで拡大可)
下は、建立当時の復元模型です。
主な建物として、仏塔が2基と本堂1棟が考えられています。
石敷跡
ここから、史跡として紹介されている構造物を紹介します。
まずは、石敷跡。
飛鳥時代に寺が建立された100年後、寺の門前に歩きやすいように敷かれたものです。
中門・回廊跡
次に、寺の門と、周囲を歩く回廊の跡が、突き固められた土で示されています。
中門をくぐると、本堂(金堂)と仏塔が見えてきた、とされています。
築地塀跡
前後を溝(堀?)を構えた塀(壁)の跡も、露地で示されています。
一見、通路に見えますが、張り巡らされた塀の跡です。
寺院の中心部
本堂(金堂)と仏塔を構えた寺院の中心部、も今は芝生の平地と台地。
本堂(金堂)跡
御本尊を安置する建物で、今でいう本堂の跡。
建立当時は「金堂(こんどう)」と呼ばれていました。
今は、建物の基部と階段が復元されています。
階段と基部に上がるのは禁止されていますので、ご注意ください。
南塔跡
かつて、そびえたっていたという2基の仏塔のうちの1基。
残っていた建物の基部から、三重塔だったと考えられています。
杭の内側への立ち入りは禁止されていますので、ご注意ください。
中塔跡
仏教を開かれたお釈迦様の遺骨(「仏舎利・ぶっしゃり」と言います)を納めた建物とされています。
こちらも、三重塔であったとか。
北塔の基礎
上淀寺の仏塔は2基と考えられていますが、もう1基が建築を予定されていたのでは、と考えられています。
それが、この北塔。
心礎の石が発掘されたものの、建物の基部となる構築物が無く、計画で終わったと考えられています。
附属建物跡(105号)
さて、上淀寺で唯一復元された建物があります。
それが「105号建物」と呼ばれているもの。
経楼(お経を納めたお堂)か、鐘楼(鐘をつるしたお堂)だと考えられています。
現在は、建物の柱が復元されています。
その他の附属建物跡
その他の建物の跡は、説明板の他は芝生になっています。
こうした風景も、諸行無常の響き、なんでしょうか。
おわりに
秋の「上淀廃寺跡」についてご紹介しました。
見事な彼岸花たちですが、もともと群生していた、というわけではないようです。
秋に訪れる人たちを和ませようと、植えて、肥料をあげて、と育てられたものだとか。
上淀廃寺跡が、彼岸花の名所になるまでお手間をかけられた人たちに感謝です。
赤白の彼岸花が秋風に揺れ、蝶たちが舞い踊る昼下がり。
秋の風情を感じたいなぁ、という方は是非、「上淀廃寺跡」にお越しください。
Youtubeでも、上淀廃寺跡の様子を15分間の動画(定点カメラ)で紹介しております。
よろしければ、こちらもどうぞ。
ここまでの御高覧、ありがとうございました!
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