今回、ご紹介する書籍はこちら!
タイトル | 禅、比べない生活 「自分のものさし」で生きるヒント |
著者 | 枡野俊明(曹洞宗徳雄山健功寺住職・庭園デザイナー・多摩美術大学環境デザイン学科教授) |
出版社 | 三笠書房 |
初版発行年月日 | 2017年10月10日 |
本書は、「結果が全て」という現代の社会の風潮について、禅、つまり仏教的に「結果が全てじゃないよ」「他人と比較ばかりしていても疲れるだけだよ」と諭してくれる1冊です。
本記事では、本書の内容をおおまかに紹介させていただきます。
本書の内容
本書に収載されている内容は、一貫して「自分と他人を比較しない生活の方が楽だし、結果的に成果も出るよ」というものです。
タイトルにある「禅」の思想のみならず、キリスト教や著名人の言葉など、多彩な名言・思想から「比較しない生活」のバックボーンを紹介してくれます。
「そんな、キレイゴトばっかり並べられても、会社や学校で結果は求められるし」
そんな声も聞こえてくる気もします。
しかし、本書は「成果主義を捨ててしまえ!」という極論ではありません。
「モノゴトをみる視点を変えてみよう」というものです。
成果を求めるあまり、窮屈になって強張り疲れ果てた心を休め、自分なりに成果を出すプロセスを見つけよう。
そんな1冊です。
本書収載のとあるエピソード「将棋の名人・羽生善治さんの言葉」
「勝てば官軍」「負ければ賊軍」という言葉があります。
とにかく、勝ちさえすれば、どのような手段をとっても正当化され、正義とみなされる。
逆に、負ければ、有無を言わさず悪・邪とされる。
そういった意味の言葉ですね。
現代では、「勝ち組」「負け組」という言葉も生まれています。
「勝ち組」になれさえすればよい、という風潮もあるように感じます。
しかし、禅の考えは、この風潮とは、全く異なるものです。
そもそも、「正邪・善悪・損得を区別しない」という考えなのです。
ただ、そこに「過程・プロセス」と「一時的な結果」があるだけです。
一時的に「勝った」としても、その高揚感はすぐに消え失せるでしょうし、「勝利」を得るために汚い手段を使っていては、周囲の信頼も得られないでしょう。
また、一時的に「負け組」になったとしても、他人の痛みがわかって、人としての器が大きくなることもあるでしょう。
将棋の世界のレジェンド・羽生善治さんは、勝負について次のようなことを言われたそうです。
「勝ち負けにはもちろんこだわるんですが、大切なのは過程です。結果だけなら、ジャンケンでいいんですから」
確かに、勝ち負けとは「一時的な結果」であるし、長い目で見たら「過程の大切さ」というものが分かるように思えます。
本書収載のとあるエピソード「只管打坐」
自分は「なんのために」仕事をしているのかー
誰しも、一度や二度くらいは、そのようなことを考えたことがあるのではないでしょうか。
生きるため、ご飯を食べるため、家族を養うためー
こういった考えの場合、仕事は「手段」です。
この仕事が「手段」になっていると、したくない仕事もするし、いやいや仕事を取り組むこともあるでしょう。
それでは、心が疲れてきます。
まずは、「~のため」という考えから離れて、仕事をしてみませんか。
そして、目の前の仕事に「今自分ができることのすべて」を投入して没頭してみませんか。
仏教の曹洞宗の修行に「坐禅(ざせん)」というものがあります。
一見、アグラをかいて瞑想しているように見える修行です。
そして、「悟りを得よう」とか「精神集中」を図る修行……のようにみえて、そうではないのです。
座禅のポイントとして「只管打坐(しかんたざ)」という言葉があります。
「ただ座る」という意味です。
悟りも精神集中も何も求めず、ただただ「座る」ことに集中する。
そういう意味の言葉です。
簡単に言い換えると「目の前にあることにただただ集中する」ということですね。
「食べるため」「家族を養うため」という結果をひとまず脇に置き、今目の前の仕事をどうするか、に集中する。
そして、それを1つ1つ順にこなしていく。
そうすると、成果は後からついてきます。
言うは易く行うは難し、とは思いますが、そうした心持ちでいることで、心の消耗を少なくすることもできるのではないでしょうか。
おわりに
枡野俊明・著「禅、比べない生活」を簡単ですが、ご紹介いたしました。
本書では、このブログ記事で取り上げたようなエピソードが、たくさん収載されています。
「短期的な成果至上主義的視点」から「人生というロングスパンで考える視点」に切り替えるためのヒントの宝庫です。
「いやいや、なんにしても成果は出さないと!」と感じて焦っている方に、「結果的に成果が出る考え方」の1つとして、本書をオススメします。
ここまでの御高覧、ありがとうございました!
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