こんにちは。サバイバルスキルが欲しい、常々思っている佐々井と申します。
今回、ご紹介する書籍はこちら!
タイトル | ぼくは縄文大工 石斧でつくる丸木舟と小屋 |
著者 | 雨宮 国広(縄文大工、建築家) |
出版社 | 平凡社 |
初版発行年月日 | 2020年9月15日 |
まず、著者の職業「縄文大工ってなに?」、なんですが、縄文時代の人になりきって、当時の生活や建築を研究・復元する人……と言っていいのかな。
とにかく、「縄文時代になりきる」具合がスゴイんです!
そして、「縄文時代になりきる」ことで見えてきたものが、「かつて人間が営んできた生活様式」なのですが、それが、今の時代に求められているもの、というのもスゴイ!
それは、「持続可能な循環型社会」なんです!
昨今、「SDGs」とか言われているものですね。
有史以来、営々と築いてきた人間の「現代社会・文明社会」が捨て去り、そして見直されている「循環型社会」は、かつて(有史以前には)実現されていたのです。
思っていたよりも、縄文時代の人たちの知恵は凄い!
それが、著者の実体験が書かれた本書を読むことで感じることができます。
本書をオススメしたい方はこちら。
それでは、本書についてご紹介していきます。
「縄文大工」の雨宮さんって、どんな人?
著者の簡単な略歴は、アルバイトで丸太小屋づくりに従事したことから大工仕事に興味を持ち、普通の大工、宮大工(神社仏閣や古民家の大工)を経て「縄文大工」になった方です。
著者の大工仕事への興味は、「大工道具」への興味でした。
最初、一般住宅などを取り扱った「大工」となった際は、チェーンソーやハイテクな大型機械を扱うも、「手作業」への興味が大きくなっていきます。
次に、寺社や古民家と言った、歴史的に古い建物の修繕などを取り扱った「宮大工」になり、ノコギリやカンナといった伝統技術を支えてきた手作業の道具を使うことができました。
大工修業(アルバイト)開始から数えて10年。
丸太小屋に始まり、一般住宅、文化財修復、寺社建築、数寄屋建築、民家再生、水車などに携わるものの、建築業界は伝統的な宮大工も含めて「効率が求められる=機械化」の流れがあることに気づきます。
そして、それに著者は違和感を覚えます。
「機械や鉄製品による効率化」は、弥生時代~現代にいたるまでの「ものづくり」を学ばせてくれた。
でも、自分の求めるものとは違う。
そんな著者は、1つの道具に出会います。
「石斧」
石と木でできたオノです。
この「石斧」の魅力に取りつかれた著者は、大工仕事を被雇用者の立場から独立し、自分で石斧をこしらえ、どんどん石斧が用いられていた時代……「縄文時代」に憑りつかれたように傾注していくのでした。
最初は、仕事がなかったものの、考古学的な仕事が舞い込んでくるようになり、本書では、「縄文時代の住居・縄文小屋の建築」と「3万年前(旧石器時代)の丸木舟の復元(と台湾~沖縄の航海)」の2つの仕事について収載されています。
そして、著者自身が「縄文時代のくらし」を日々実践することで見えてきた「持続可能な暮らし」も載っています。
著者は、自宅の敷地内に「三畳の縄文小屋」を建て、家族と別居する形で縄文小屋に定住、食べ物も電気や鉄器を使わず、小屋の中の囲炉裏で食べるという徹底ぶり。
髪もひげもそらず、普段は年中・裸足(外出時はサンダルだが、居住地は山梨県の甲府盆地!)と半そで。。。
なぜ、そこまで徹底して、原始人の生活に取り組めるのか?
これについては、著者はこう振り返ります。
「原始人たちが、文明の利器がなくてもシンプルに、かつ力強く生き抜いてきたという「生きる力」に憧れている。」
「変わり者」
「原始人みたいなんて、みっともない」
そう、よく言われるそうです。
しかし、著者は、「人間本来の能力を失いたくない=文明の利器がなかった時代の生き方がしたい」という信念があります。
また、「すべてを縄文スタイルにすることはできないが、自分のできる範囲でやっていこう」とも。
その「自分でできる範囲」が、ブログ主から見ると「突出している」ようにも感じますが、「人間本来の能力でたくましく生きる」というスタイルにブログ主は驚嘆とともに憧れ、また、「自分のポリシーに生きる」というのにも憧れを感じます。
本書の内容
本書の収録内容ですが、前項の著者の経歴をなぞるようになっています。
1.縄文大工になった経緯(アルバイト~大工~宮大工~独立まで)
2.東京都立大学のチームとともに「縄文小屋」を復元したリポート。
3.国立科学博物館のチームとともに3万年前の丸木舟の復元リポート。
復元した丸木舟は実際に台湾→与那国島まで航海(著者は乗船せず)
4.3年間の自宅の「縄文小屋での生活」から生まれた生き方について。
文章のテンポが良く、写真や図解も多用・引用されており、読みやすくわかりやすいものになっています。
なお、本書の原稿は、紙とペンで執筆したとのこと。
やはり、アナログ重視ということですね。
縄文時代の生活は「持続可能な循環型社会」
縄文時代や旧石器時代というと、「野蛮な原始人」のイメージでしょうか。
ウホウホいいながらマンモスに立ち向かい、木の実や魚を捕る狩猟型のその日暮らし。
住居は、土と木でできた粗末な家で、石でできた道具と土器…
これのどこが「持続可能な循環型社会」なのか?
道具
まず、自然の素材をそのまま使った石のオノや黒曜石のナイフは、思ったよりもよく切れます。
この道具を作るには、電力が必要だの廃材が出るだのといった「工場」が必要ありません。
時間効率は機械に遠く及びませんが、その「作業時間が長い」ぶん、木材などと「語らう時間」ができる、とのこと。
この「木などの資材になる自然のものと語らう」というのは、職人の世界なのかもしれません。
燃料資源
次に、石油や石炭と言った化石燃料はもちろん、木を切り出して作り出す「薪」も有限のもの。
現代も縄文時代も「有限のものを有限と認識する」ことが重要なのです。
熱源(発電源)などを「節約する」ことを心がける必要があるのは縄文時代から不変のものなのでしょう。
住居の建築・解体と林業
次に住居。
著者が考証に加わって復元した縄文式住居は、下記のような特徴があります。
1.木や石などの自然素材をそのまま利用できる
2.素材・工法ともに自然汚染もなく自然環境に優しい
3.住居の寿命による建て替えが簡易にできる
4.建て替え時の廃材は再利用できる(藁は肥料になるなど)
5.工具も自給できる
(イメージ写真)
また、縄文時代の森は「多種多様な広葉樹(栗・ブナ・桜・トチ・ナラ・ケヤキ・樫など)」が多く、古民家でも使用されていました。
そして、その広葉樹は伐採しても切り株から若木の芽がたくさん出ます。
伐採する木の選別や伐採後の手入れをすれば、縄文時代の技術でも半人工的な豊かな森林が実現可能!
これは、すなわち「林業」の大切さでもあります。
日本の戦後の高度経済成長時、木材の供給のため伐採が進み、はげ山となった後に植林された杉やヒノキといった針葉樹の林は、いまどうなっているか。
(多様な広葉樹の森に、単一の針葉樹が植林された理由は、「針葉樹が建材に向いているから」です)
安い外国製の木材が輸入されだしたことにより、また林業の担い手が減っていることにより、日本の森林は荒れ果てていっています。
多様で豊かな森林を守るには「人の手」も必要。
そして、目先の「産業」だけを見ず、大きな自然のサイクルを見る必要があるのです。
おわりに
雨宮国広・著「ぼくは縄文大工」についてご紹介してきました。
いかがだったでしょうか。
本書では、著者が「縄文時代の生活」を語る端々には、「地球・生命への感謝」に満ち溢れています。
これは、「SDGs」や「持続可能な循環型社会」という「人類が生き残るための目線」よりも大きな、「人類が生かされている、という視点」にたっているからかもしれません。
「文明的なこと=正しいこと」ではなく、「文化的」な視点も必要なことを教えてくれる1冊です。
ここまでの御高覧、ありがとうございます。
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